若干Bi-Fのハートコア

「じゃっかん」言い過ぎて親しい人にも若干移しちゃった。

フジテレビ とんねるずの男性同性愛者揶揄ネタに切れて、BPOに意見を送った。

この話は英訳しないと。一昨日、日本のTVで重大な同性愛者差別ネタのリバイバルがあり、私はBPO(放送倫理番組向上機構)に意見を送った。

FBの当事者グループでは、この種の人権侵害は報道の自由や権利問題が絡むために根本から無くすことができないかのような議論がある。差別禁止法整備反対の方の主張は依然として強いままだ。

力もなく、他人と群れもしない、群れを好まない私側からは今出せる発言を投書で行うしかなかった。間も無くフジテレビ側から出された陳謝に誠意は皆無だった。スポンサー降りた会社の社名もニュースでは報道されなかった。

職場のあらゆるステークホルダーに放送のようなジョークで笑える人がいたら恐ろしいと思った。事実、その次の朝の出社は恐怖でドキドキしながら電車に乗った。この電車に乗っている人々の殆どが石橋氏の同性愛者揶揄を「芸」で「単なるギャグ」「時代の賜物」と信じ込んで笑うのがこの場所の国民性なんだろうか?被害妄想が止まらなくなった。が、仕事は普通に忙しく終わった。馬鹿みたいだった。

 

『トンネルズのみなさまのおかげでした30周年記念SP』フジテレビBPOへの申し立て、意見url
https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1119
番組 『トンネルズのみなさまのおかげでした30周年記念SP』フジテレビ
提出した意見全文(500字制限に従ったものをわかりやすく加筆)
『番組内コメディの「ホモオダホモオ」で男性の同性愛者、性的マイノリティー当事者の全般を嫌悪・揶揄し、否定する言動が取られました 。放送は男性らしく無い男性、男性同性愛者、両性愛者、女性、性的マイノリティー当事者を社会的に排斥し、当事者の自尊心を根底から傷付ける重大な人権侵害です。視聴者に誤解を植え付けることで様々な性への正しい理解を妨げ、社会の男女共同参画を妨げる影響をもたらすと考えます。フジテレビ責任者、番組責任者、芸人の北野武氏、石橋貴明氏、木梨憲武氏は謝罪し、今後この芸をメディアであっても舞台であっても披露しないように強く求めます。』

また学生の時と同じ話をしなければならない。根本解決は、彼らが芸をやめることではなく、それが人権侵害だと読み手が認識することだと考えて書いた。

以上のフジテレビの番組ととんねるずの下らない芸の問題で、私は上の世代が経験した地獄を追体験している。学齢期にコメディアンの影響でいじめや陰湿な無視にあいながら笑う余裕もなく30年以上も耐えて、指向に逆らって異性婚に順応し精神を抑圧して生きる人も、色々な理由で亡くなってしまった人々も国から逃げた人々もいる。出身地に帰れず、再び家族と触れることが出来ない人々も居る。疫学調査によると、GB男性は通常の5.98倍自殺率が高い(日高)TGを含むレズビアン女性、バイセクシュアル女性の数値は国内統計で未だ出ていないが、性被害はバイセクシュアル女性が突出と言う結果がRC-Net(レイプクライシスネットワーク)から最近出たばかりだ。

おかしいと思わないの?女性に強く問いたい。同性愛者は子供に見せたくないし、いじられる人は気持ち悪いわけ?

Facebookでのネットニュース各社(Yahoo! livedoor ハフィントン 毎日新聞 NHKなど)公式アカウントコメント欄では、想像以上に女性の視聴者がゲイ嫌悪ネタを擁護し表現の自由が無い世の中になったもんだなぁ〜〜TV局に責任は無いぞ!なんで謝罪するんだ?」などという罵詈雑言のコメントが多く、男性のヘイト的、バックラッシュ的なコメントへの同調、売れたコメディアンを賛美する意見に同調する様子が多かったために驚き、失望した。

私はこの件で「女性が多く発言力を持てる場面」、「女性がていねいに扱われて働ける」、「男女共同参画が常識の日本」だから「さらに立場が弱い多様な条件下にある人の地位確保と人権保証も同時に保たれる」なんて事は、成立し得ないし、自分も含め女性の情報読解力と行動が底上げされない限りは絶対に進歩しないんだと痛感した。

明治大正からの女性運動の歴史的な功績に寄っかかって、女性を都合よく活用するための政治的な意図から繰り出された肯定言説や仮初めの政策、思考停止を招くエンタメやメディアに溺れてる状況が見えて、絶望要塞って感じ。

何故そうして想像力を奪われた事への気づきもなく、ジェンダー不均衡に怒らないでいられるのか、痛みを引き受け、角度を変えて共感を試みる作業を避けるのか?私には全く理解出来ない。


10000歩譲って私が他力本願の努力不足で「不貞腐れている」と批判され「甘んじてる」と言われても、私の努力や活動が「憶測を出ない他者の思想領域への侵害だ」と罵られても一向に構わないが、此方は毎日内心で日々受ける性別役割分業やトランス・同性愛者嫌悪に怒りながら、わざと意識や感情と反対の行動と意思の決定を選び取らなければならない。

お世辞にも共感し辛く、圧力をかけてくる身勝手な相手にサービスを提供しながら明るく楽しく過ごしているように見せる事は、万人には出来ない技術だと確信しているという自分の状況に対する見解は示すし、崩れない現実だから絶対に譲らない。

フジテレビ社長からの謝罪を引き出したこ
LGBTは左利きの人の数と同じくらいの人数とハンデだ」みたいな言い方をするタイプの当事者の団体アクションの雰囲気も、はっきり言って、メディアの恩恵(宣伝の結果としての寄付など)を受けてる「活動家」だから出来た皮肉がある。

日本の性的マイノリティの理解推進や話し合いのやり方は、例えばイタリアのTriesteで起こった精神病院の廃止法と精神障害者への差別禁止法を作った時代のように、対話を真向かいで仕掛けて喧嘩しながら法制度の整備と民間の地域住民の偏見誤解を解く作業を会話ミートアップで同時に進めて行くような能動的なやり方や、エチオピア人留学生の一意見のような「問題解決は話し合いのマンパワーやチームワークで可能」みたいなニュアンスの話しの示唆が、全く歯が立たない。

どこの国にもあるが、LGBT活動者のマスコミ出演などは、団体の資金集め広報合戦の汗の一滴、競争のタネであるからだ。

こう言う、多様性の議論になるとみなさま面倒なので「思想信条の問題」と片付けるのは世間の常套句で仕方ないとしても、自分自身は、思想信条に基づく活動は本当は全く思想信条の問題じゃなく経済活動や権力争いの一環だと言うことを踏まえた上で対応できる答えを、時間をかけて作っておきたいと思う。

「無くそうSOGIハラ委員会」の申入れは、かろうじて法的な問題(セクハラ男女雇用機会均等法、報道憲章への抵触)を指摘した。しかし「我々に利益を下さるフジテレビさまに、前向きで音素若な提案を売り込みしようよ!」という感じもあって、結局は大企業への擦り寄りが顕著だと思われても致し方ないと思うし、私にはそう見えてしまいもする。

同じような意見はTwitterや地方の非営利活動者のFacebookコメントに未だに絶えない。一般的な民間人の性的マイノリティとされる人々から落差が有る事は明白で、それに属する私を「無くそうSOGIハラ委員会」は代弁はしてない。

実際の左利きの人と過ごしたり、私と対極な生き方をする中国人の人々と話したりして、全然違う事を沢山教わるほうが楽しい。

 

 

2017上半期の美術鑑賞:東京都写真美術館「平成をスクロールする」春・夏

2017上半期の美術鑑賞:東京都写真美術館「平成をスクロールする」春・夏

ひょんなことで招待券をいただき、展示の終わりと始まりの切替え時を狙いながら、集中して非常に急いで行ってきた。

東京都写真美術館「平成をスクロールする」夏『コミュニケーションと孤独』

星2つ(5点満点中)

春展は、すでに観に行かれた方がレビューを書いているので、夏の方で色々と考えたことを書いてみることにする…ガーデンプレイスがレストラン街以外リニューアル中の静かな恵比寿は和むので、散歩にとてもちょうど良い。病院が真隣で、庶民感覚で働いてるとファミマとスタバがオアシスなのも好き。散歩している犬は清潔な小型犬が多い。(上野だと大型犬が多い。)自分は2004〜2008年くらいの間に春展の出展作家の作品の影響は受けてしまっていて、多少、そう言う撮り方を真似したりはしたので、懐かしいけど意味や文脈わかってないんだろうかとか思う。他人に見せられるものでもなく、いつどこでそれらの写真を公開するかも面倒で決めてない。

それで話を戻して、ざっくりとこの夏展の「話」としてはこういうことだっけ?

「平成」期の作品の中から、撮影者と撮られる被写体、撮られた側の人間とのコミュニケーションの在り方について探りたい

→通信手段の進歩(主にインターネット)により、個人それぞれの情報の受け取り方と行動の選択の仕方、個々人の主観については昭和期とは段違いな個別化、個人主義化が招かれた

→その結果、人と人との意思疎通そのものは言語が同じ語を共有できている場合であっても難しくなり、人間関係の在り方が複雑化し、結果として、様々な問題の可視化と事件も起こった。(解決方法も高度にならざるを得なくなった。)

→探りたい「撮影者と被写体の相互の意思疎通の在り方」は平成という時代にどのように表されたか、変わったのかを示したい。

という感じだったかな。

何と対にしてその「変化」を比較したいのか?示されていない。鑑賞者の年代によって感想に違いが出るように意図したかもしれない。題名に惹かれてか、鑑賞者はそんなに若くない独身男性が多い。

平成時代の先行き不透明な不穏な空気感イメージの型をキュレイターが表したくてワザとそうしたのだろうけども、「何に対しての変化」なのかが示されない。(まさか戦後経済成長からバブル崩壊の期間と、などではないよね?)

質感が一定なのは写真だからどうしようもないが、最後に未来への示唆(微妙な、2010年くらいの浮ついた雰囲気)が示されないために、モヤモヤして観ていて分かりにくく、後味が悪い。なんで急にあのモデルを回転させて撮る作家と公園内のテントの画の流れから最後に極端な孤独死者の残骸部屋の写真を出したのか…そういう紹介の仕方をすると、余計なスティグマを生むと思うんだけど。(甘く観てやって、この作家個人で作品のストーリーをいちいち調べながら観てあげれば受け取る作者の訴えの読み取りは違って来るだろうけども。)

複数の作家をキュレーションしていて3万4000点も収蔵されてる候補があったなら、その画に頼らずに「コミュニケーションと孤独」というテーマに対する広がりも深さも出せたんじゃないのか?鑑賞者として危機感を持てよと言われている感じは同情するけども、作品を選んで出す側がもう少し忍耐力を持って欲しい、私ならもっと頑張って選ぶけど…。という感じ。

しかも作家のラインナップは、現代美術の画廊で見るような商業的な写真が好きな人には知名度が高い、定番のラインナップだった。日本にしても随分内向きで、なんだか暖簾に腕押しな内容というか。何か、ぶつかることを躊躇したのかな?

秋季の「シンクロニシティ」もまた、図録を見る限りだと勿体無い組み合わせだったけど、観てしまうかもしれない。

 

図録

東京都写真美術館

 

他リンク 

topmuseum.jp

www.cinra.net

gallerist.cocolog-nifty.com

 

 

 

 

アンチ 高額対人支援for LGBTQな件

アンチ高額対人支援for LGBTQな件

もし、LGBT向けに「人権講師になれますよ」「お金を稼げますよ」といって高額なサービス料を支払わせるセミナービジネス、占い系霊感・催眠・デート商法被害予防・啓発に関して消費者庁厚生労働大臣に働きかける機会があるならば、私自身は署名、ロビイング(のための準備)などに協力したい。さらに性的マイノリティの当事者ではない方への協力をさらに求める可能性が高まっていくだろう。この問題は普遍的な問題だ、という答えが出ているから、そうなれば躊躇なく言っていくほかない。

 

最近、臨床心理士の某民間団体の資格を保持しているカウンセラーがハフィントンポストにクライエント集客目的かつ自分のプロジェクトへのドネーション宣伝目的の記事を出した。それはとても自由なことで、記事の内容は概ねLGBTQとその家族に対して肯定的なもの。所がそこに対して言及がされた、「記事を書いたカウンセラーからカウンセリング内で霊やオーラが見えると言われて引き摺り込まれかけた」という当事者からの声がFBのタイムラインに上がった。

この話は、引き摺り込まれかけた人の経験、その人の一次情報がやっかみ等ではなく、正しいという前提、臨床心理カウンセリングの受け手の主体性と決定権を強調する私の主観的な観点に立って書く。

そのカウンセラのカウンセリングルームのHPでの治療メニューでは使っている治療法はユング学派系であることが見て取れた。ユング学派への賛否は抜きにして、支援する側としての最低限の傾聴と支持のディスコースを行なっていれば、霊やオーラの話がカウンセラから出てくることは到底ない(受け手が霊の話をしたにせよ)

臨床心理学の治療法が一応はその通りに踏襲された内容なので、読んでいて背筋が凍った。面接時間を引き延ばそうとしたのだろうか。そのカウンセラの治療は1時間約10000円。

だけれど、もっとすごい他の(アメリカ帰り)のカウンセラは、

都内の一等地にカウンセリングルームを開き、

セッションは 1回90分3万円〜で

「某LGBTアクティビストのトラウマ克服体験談の本を読んだ」

「「彼女のSNSからあなたのカウンセリングルームを知って来ました。」と言えばいくらか割り引きますよ」とアプローチして集客したりしている。

日本には、全ての臨床心理の支援職、全ての臨床心理カウンセラーが国家資格の公認心理師を取らないと臨床心理士として働いてはいけませんよという決まりはどこにもない。高等教育機関を経て専門教育を受け、公益財団法人の資格を取れば良い。あるいはそれすらない「資格」であれば民間でもいいや、そんな風に開業者の最低限の善意かブランディングのために民間資格が使われまくっている例が多い。職業倫理や個人的な道徳観はあっても、料金の設定も、売り出し方もうたい方も、法に抵触しなければグレーであってもどのようであれ構わない。

信田さよ子は、臨床心理カウンセリングはエクス・メドであり、精神医療の脱医療化に対する重要な鍵なんだと強調する。手が震えながらしわくちゃの1万円札2枚をカウンターに差し出す若者のクライエントの様子を描き、「料金を支払う」ということでクライエントに自覚を持たせるんだ位に言い切っている。臨床心理カウンセラーの職業的性格を描いている、それが悪だとはここでは言わないが、優しくはないのが当たり前だと言っている。(「カウンセラーは何を見ているか」)

教育福祉的な、更生、労務管理、人材マネジメント、コンサル的なサービス業の一つとして、自由に開業されて存分に構わない状況で、社会がコミュニケーション偏重した状況・核家族化・価値観文化趣味嗜好の多様化・高齢化の中で、心理支援の需要はなくならない状況にある。というのは、臨床心理カウンセリング業に対して、受け手であり、一般人である私の大きな誤解もあるかもしれない認識である。

国の公認心理師法が、絶対にクライアント以前の消費者であるカウンセリングの受け手を守るための防波堤となってほしい。

それにしても日本の公認心理師法は賛否がある問題点もあるようで、求める専門性、それを獲得した人自体が世界に引けを取らないくらい的を得ているのか(結局は相性に尽きると考える)その「世界」と私が認識しているイギリス、アメリカ、EUの心理職がどうなのかは定かでもなさそうな印象を持ってしまっている。

結局、臨床心理学は本当に科学なのか、何を解決可能なのか?というか、問題の完全消滅は出来ない。という感じで、参考にはするもののは信じていない。ちなみにイタリアの臨床心理士は、体を診る医学部と同じ医学の基礎教育を3年間受けなければ臨床心理学の過程に移れないし、資格受験資格も許されない。(調べた限り)

LGBTQの端くれである私の頭は正常にグルグル考えているので、高額な料金を支払ってまで他人に自分の心を委ねるのはすごく嫌だと思う、それだったら、物質としての身体の不調から解消したいと思ってしまう。料金を払わなくても、客観性がなかったり裏付けに頼らないことを信じ切って、リーダーがワンマンで進んでいくような集団は嫌いである。

「1回目は無料です」「分割ができますよ」「割引がありますよ」「ポイントが何万点たまっていくと〜の分の料金を相殺できますよ」も嫌いである。一ポイント何厘ですかみたいな。余談ではあるがTカード、ポイントカードも、基本的には嫌いで、人間の手でスタンプ押せば軽いデザートかドリンク1杯がもらえますみたいなアナログなもの以外使っていない。

 

最近、extremelyに驚いたのは、「LGBT(etc 一定の目的や需要、属性、この場合宗教抜く社会的条件)で集まる場面を作る時に「安全」を保つには「ground rule」(要はその場だけのルール)
を作ることが大事で、それは集まった際にその場の人同士で(自然に、ということは「常識だ」と思われ共有されてる内容の決まりで)民主的に決めるし、根拠には厳密にこだわらないし、既存の法律とも一定の分野のメソッドとも関係ないというか、人とのコミュニケーションではそこは考えないでしょう」というベタで当たり前な話を聞いた時で、「えっ!なんで?本当なら不確定だなぁ!」と本当に鮮やかな驚きを感じた。自分側が生きる中で、集団内での個々の社交が基本のゲーム遊びや人とのチームプレイ経験、人とつるんだ経験値が少ないからだと思うし、根拠に科学的な効果や歴史的な正しさなどの価値を求める癖が強い文化に浸りきりからだと思う、というか、科学を無根拠に信じすぎてると思う。(苦笑)

 

事実、LGBTQ単独のコミュニティやLGBTQ単独で行われるイベント・シンポジウム・パーティ類などよりも、理解があって寛容か、無関心か、知らないゆえにゆるい状態になってくれている「ストレートワールド」の方が、100倍過ごしやすいという結構皮肉な現実が、自分にはあるので…。

 

被害にあったら|消費者庁

 

医学書院/書籍・電子メディア/カウンセラーは何を見ているか

 

www.mhlw.go.jp

 

臨床心理士とは | 公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会

 

国際的な視点から考える臨床心理士の資格

https://www.fukujo.ac.jp/university/files/uploads/in_20141022_02.pdf

 

PSICOLOGIA - Università Vita-Salute San Raffaele

 

www.advertimes.com