若干Bi-Fのハートコア

「じゃっかん」言い過ぎて親しい人にも若干移しちゃった。

美術大学における性的マイノリティ当事者在学生への学生支援要望活動を通って考えていること

美術大学における性的マイノリティ当事者在学生への学生支援要望活動を通って考えていること

突然なんだけども、私が中退した美大在学中に作った研究は、「美大生のLGBTQ当事者に対する支援をどうするか」という話を指導教授なしで作成して、署名を使って学生課の支援体制づくりを無理やりさせる活動を行い結果として自分は卒業できないという損失を出した。この辺の後悔は無い。1人の中退より三人くらいの内定増えれば良いと考えてたから。活動2年目には相談されがちになり、活動3年目には学生課の人々とかなり知り合いになったけども私が救われる効果は無かった。自分一人の中退と引き換えに進路を選択できる複数名とか、就活を諦めない人々いうのは増えたのだろうか?増えたならマシなんだけど。

偉そうな経験なんか小さいし私もしがない人間で、見栄も損得勘定も有るし、耐えられない時間も有る。

このへんの過去の出来事に対する回復を自分にあるかし強いてきて、そこそこトチ狂った朝起き生活習慣を身につけたりしたので、ある程度はリズムもコンディションも忍耐性も維持しているけれどもなお美術系に戻ろうかどうかを考えて耐え難い苦痛を感じていて、同じ分野入ってもトラウマを繰り返すだけなんだけど戻ろうと思うことがあって、うまく良くならない事について耐える気がなくなってきて、気が持たないけど休日には受診できないとか。もはや寝て耐えるしかない。

(※スライドは現在では正確でない表現が含まれうる可能性ある点 勘弁を)

www.slideshare.net

 

結局、多角度からこの問題を考えざるを得ず、公衆衛生の統計まで引くと、私立美大は芸大受験の失敗の受け皿的に更に機能する必要性がある事が分かった。美大は荒れもそれなりに有り、成績上位は上は上で幾らでも留学・受賞・作家デビュー、メディア出演、特技で開業など天井知らずに人生を行き大学の広報に載ったりして。だけど、軽く前科持ち位に荒れた学生に関わる学生支援のような臨床教育的な方向と学部全体が求める芸術的な鍛錬の方向とを噛み合わせる議論がされておらず又は意図して分掌して避けているために、機能不全という印象を受けた。学校リスク研究所さん辺りが、この辺を掘り下げると効果的かもしれない。

私自身は臨床心理、社会学社会福祉、教育と他分野の日本の大学、学部生・大学院生を見つつここ二年、どこかの学部の入試を受けることなどを検討していたのだけども、日本語話者の大学のあの人間関係と制限時間で平気そうな自信も、元が取れそうな就職先のめども、何か結果が纏まるような将来も全く見えないし、さして外国語もできない事が大変だ…ヤバすぎる「良い1日を」さえも向こうに日本語で言わせてる…現在の状況と過去の記憶は切り分けて居るのにグッチャグチャになって過去がVR的な感じで侵食してきてしまう。

学位を持っていてもいなくても

狭い範囲ではあるが、オンタイムではアートと並行した食い扶持としてのフリーターをしている美大卒や作家志望の同僚たち10名ほどの「フリーターとしての時間」で彼らと接して居て、生き生きとした様子が見える時間がほぼ見出せないという困難がある。仕事を教えていての理解の違いから来た困難も有り、時間をかけるか、伝わる言い方風のシンプル過ぎにしないで丁寧に説明して伝わった場合にはその人は仕事を続けられているが、底つきを見るか飽きたか、より良い選択が有ったかでやめてしまった人も居る。自分にも有るが彼らからの話の共通点は「一つどころの問題や一定の決まった人々、ルーティンワークに長く取り組むことが辛く、苦手で、疲れやすい」という点である。これはアノニマスという感じで時間を作って話し放しにすると、発見や思い留まりは可能になるのだろうか?(危ないからやりたくないけど)

仮にも元同業者と働いているはずなのに、適応しないといけない社会の枠組み(色々な規定や業務のタスク、守るべきマニュアル、ある程度の善意や忠誠心、人事評価対策の気遣いやら)の影響だけで、この人々が死んだアサリのようにマインドを閉じている(それを一概に批判も否定もできない、支持的に見ていくしかないが)行きづまり感というのはなんなのか?という謎ばかりが深まる。彼らは彼らなりにみんな別のチャンネルや仕事の時間とは全然違う性格を別の場所で解放しているんだろうか?全くよく分からない20代中盤に狼狽する時がある。

最近はアート界はセクハラ問題の可視化は出て来たものの、問題はどうして芸術分野の高等教育機関や学会が歯止めをかけるとかコンプライアンスに努める働きをしないのかだ。単に学校が食い扶持稼ぎ用の仮場所にされているし、女性アーティストで性を武器にしてる気になってる系が未だに幅を利かせてるからだと思うんだけど、まぁ、権威の密室でやりたい放題の温床だから…仕方ないのかね。

www.afpbb.com

聴講:「Art&Gender女性アーティストは例外的存在なのか・対談」東京藝術大学 その①

聴講:「Art&Gender女性アーティストは例外的存在なのか・対談」東京藝術大学 その①

 

f:id:yataroiwasaki88:20171029211353j:image

 

女性アーティストは何に対して例外的なのか?  

美大受験生が必聴な話 だったので書き起こし

かなり回りくどかったが、話はこんな感じ、間違いあるかも。
メモ Katy Deepwell氏 n.paradoxa
女性アーティストは何に対して例外的なのか?
男性に対して?既存の女性アーティストが形成してきた規範、女性の規範、アーティストの規範に対してなのか?社会人の規範との比較に対して?

 

残る人々全体は30% 


Hans Abbing :Why Artists are poor?
アートワールドへ参加するには学歴が必然である。美術大学卒業から美術業界に残る人々全体は卒業者の30% 美術大学での学位取得(在学学生の比率は55パーセント)、賞の獲得、非正規教員、大学の教授、美術館何らかのディレクター、ビエンナーレ出場、世界的な賞の受賞などへと進むに従い当然に数が減っていくピラミッド構造がある。投資をかなりの数の学生の消費と微小な資産家、企業メセナ、税金に頼っているような世界である。

それだけで生活できない、常なるフリーター、フリーランス状態の中で働く。日本は労働人口4割がフリーター。フリーターとしての社会的役割を意識せよ。ダイバーシティ・インクルーシブは大規模な企業社会を前提とした方法論でフリーランス状態やフリーター状態の個人に適応される事が出来るのは例外的である。フリーランス状態であれば、合う有用な批評家、キュレーター、法律家、コレクターをチーム組織していくべきである。(個人的なスポンサーを自力で持て、と言っている…イギリスはあるかもだけど日本の大多数の美術系大学には起業・経営の教育がカリキュラムにない中で語られると、かなり投げやり無責任である)

女性アーティストの落札価格の平均は男性の50%である


世界 Artnet落札額100位までのアーティスト 女性の人数は増えてきた(例 草間彌生 シンディーシャーマンetc) NYの商業ギャラリー、東京の商業ギャラリーでも、女性アーティストの個展の数は増えてきている、女性のキュレイターも増えてはいるが、女性アーティストの選出には効果的には響いて居ない。


データ引用が複数あり:引けるどこのデータを引いても、女性アーティストの割合は30%(カナダ ホイットニー 、シンガポールで開かれたアジアビエンナーレ キュレーターの男女比や人選とは一致して居ない結果)
英語公用語圏の白人男性を除いた多国籍な人々と女性のアートワールドへの参加人数が増えた分、機会は微増した。現代アートビエンナーレ参加者は美術学生の20〜30%を占めている(学部生、院生比率は不明)
常設展コレクションにおける女性アーティストの作品の比率: 4% ( National Gallery of London ) しかも内容の質は不確実 意図的に収蔵していく必要がある。


Jacques Lacan のBig Other概念を用いて Big Other(社会のなかのArt Worldの中に継続した存在感を放ち、分裂して不規則に偏在する。口に出されない合意、決して疑問符を打たない暗黙の了解を守らされること、古い風景) 女性はBig Otherにおいて 余剰とされているNot all(不可視化させられている風景の一部)状態ではないか?

→ (私の受け取り:学歴が無ければRaw Art、Out sider art 伝統的手工芸の、女性間のみで継承されるようなマイナーな伝統芸能の領域がのこる?産業デザイン、IT、建築の場合を知ってみたくはある。
放置すればArt Worldはこのまま女性の可能性、女性にとって不公平な状況を無視して男性中心的な秩序の維持を続けるがファインアーツの場合は鑑賞教育、買い手に対する意識が見えないがどうか?力関係に対するコンプライアンスは?マイノリティ顧客の要望を汲むか、意図して導きをつくる必要があり、これだけヘイトが起きやすく、プロパガンダがあり、内向き志向ななかでは、特定の属性について意図的にポジティブな文化を作る目的を持ったある程度は呼応的な派閥が必要で、ある意味、国立大学の役目でもあるのでは?)

 

ポーランド美大、日本の美術予備校・美大に酷似。

例:ポーランド美大に対する調査
学生の男女比 女性7:男性3 教員の男女比は女性3:男性7 どの国にも良くある状況
スタジオ式、徒弟制、指導者と似た作風で似た経験、指導者と同じ考えの生徒を採り、似た者同士で研究チームを作る指導のやり方にする程、経年してから美術を続ける女性、美術業界に残る女性が残らない結果になっている。美術家のキャリアより結婚を選ぶか、一般企業就労を選ぶ。これは「予防的な差別」が敷かれた状態と言える、男性における師弟、父子的であることは可能だが、男性対女性である場合にはネガティブな関係性 mistress (愛人、売買春のイメージ)と繋がりかねないからである。

(私感 ポーランド美大、日本の美術予備校・美大にまじ酷似。s競争的かつ閉鎖的な空間では全ての人間は敵対的になりがちである。そんな話よりも市民社会に、文理を問わない学力の補完と向上に開いていて、弱さに対する福祉アクセスが速いことが先だろう。
父子的、母娘(子)的という解釈もなかなかステロタイプ?加えて、売買春はやはりネガティブ面と評価というところはやはりDeepwell氏の教育者としての倫理観においてラディカル寄りにはなりにくいってこと?)


世界中の美大に女性の教授と正規教員が少ないことによって、女性の継承、師弟関係のバリエーションを築ける風土が非常に乏しい。


世界中の美大に女性の教授と正規教員が少ないことによって、母と娘、母と子ら的なる師弟関係のバリエーションを築ける風土が非常に乏しい。

女性である事によって避けられないネガティブな経験を共有し、ダメージを検討する必要がある。
経済的な選択肢として子供を持つことが妨げられている、女性アーティストにとって出産はdisinsentiveである。女性アーティストの子供の人数は一人しか居ない事が多い。キャリアか子供か?選ばされるし、避けろとさえ言われる。それを超えて子供を持ちたければ、献身的な家族や経済的な助けの個人的な方法を見つけることが出来るはずであるし、出産子育ての状況を制作にダイレクトに出したフェミニストアーティスト達(図版を進める)
文脈もあるので、競争をやり抜いた藝大生のあなた方なら出来るはずだ。

(私感 
この話だけで聞いていると男性同士の師弟において起こりうる同性間の被害の問題が見落とされるため、不完全で、例え難関校でも学生を勝者扱いして選民意識を作るのはダメでは?)

イギリスから先生を招いてようやく話せるような事なのか…自分はシンポよりも事態を深刻に見ているし、実際に私立美大は更に駆け込み寺的な機能がいると考えているので語られた話は楽観的すぎて全く周回遅れにしか感じないが、何も語られないより100倍はマシ。 クィアアウトサイダーが全く珍しく無くなった今日、この傾向を応援したい。

フジテレビ とんねるずの男性同性愛者揶揄ネタに切れて、BPOに意見を送った。

この話は英訳しないと。一昨日、日本のTVで重大な同性愛者差別ネタのリバイバルがあり、私はBPO(放送倫理番組向上機構)に意見を送った。

FBの当事者グループでは、この種の人権侵害は報道の自由や権利問題が絡むために根本から無くすことができないかのような議論がある。差別禁止法整備反対の方の主張は依然として強いままだ。

力もなく、他人と群れもしない、群れを好まない私側からは今出せる発言を投書で行うしかなかった。間も無くフジテレビ側から出された陳謝に誠意は皆無だった。スポンサー降りた会社の社名もニュースでは報道されなかった。

職場のあらゆるステークホルダーに放送のようなジョークで笑える人がいたら恐ろしいと思った。事実、その次の朝の出社は恐怖でドキドキしながら電車に乗った。この電車に乗っている人々の殆どが石橋氏の同性愛者揶揄を「芸」で「単なるギャグ」「時代の賜物」と信じ込んで笑うのがこの場所の国民性なんだろうか?被害妄想が止まらなくなった。が、仕事は普通に忙しく終わった。馬鹿みたいだった。

 

『トンネルズのみなさまのおかげでした30周年記念SP』フジテレビBPOへの申し立て、意見url
https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1119
番組 『トンネルズのみなさまのおかげでした30周年記念SP』フジテレビ
提出した意見全文(500字制限に従ったものをわかりやすく加筆)
『番組内コメディの「ホモオダホモオ」で男性の同性愛者、性的マイノリティー当事者の全般を嫌悪・揶揄し、否定する言動が取られました 。放送は男性らしく無い男性、男性同性愛者、両性愛者、女性、性的マイノリティー当事者を社会的に排斥し、当事者の自尊心を根底から傷付ける重大な人権侵害です。視聴者に誤解を植え付けることで様々な性への正しい理解を妨げ、社会の男女共同参画を妨げる影響をもたらすと考えます。フジテレビ責任者、番組責任者、芸人の北野武氏、石橋貴明氏、木梨憲武氏は謝罪し、今後この芸をメディアであっても舞台であっても披露しないように強く求めます。』

また学生の時と同じ話をしなければならない。根本解決は、彼らが芸をやめることではなく、それが人権侵害だと読み手が認識することだと考えて書いた。

以上のフジテレビの番組ととんねるずの下らない芸の問題で、私は上の世代が経験した地獄を追体験している。学齢期にコメディアンの影響でいじめや陰湿な無視にあいながら笑う余裕もなく30年以上も耐えて、指向に逆らって異性婚に順応し精神を抑圧して生きる人も、色々な理由で亡くなってしまった人々も国から逃げた人々もいる。出身地に帰れず、再び家族と触れることが出来ない人々も居る。疫学調査によると、GB男性は通常の5.98倍自殺率が高い(日高)TGを含むレズビアン女性、バイセクシュアル女性の数値は国内統計で未だ出ていないが、性被害はバイセクシュアル女性が突出と言う結果がRC-Net(レイプクライシスネットワーク)から最近出たばかりだ。

おかしいと思わないの?女性に強く問いたい。同性愛者は子供に見せたくないし、いじられる人は気持ち悪いわけ?

Facebookでのネットニュース各社(Yahoo! livedoor ハフィントン 毎日新聞 NHKなど)公式アカウントコメント欄では、想像以上に女性の視聴者がゲイ嫌悪ネタを擁護し表現の自由が無い世の中になったもんだなぁ〜〜TV局に責任は無いぞ!なんで謝罪するんだ?」などという罵詈雑言のコメントが多く、男性のヘイト的、バックラッシュ的なコメントへの同調、売れたコメディアンを賛美する意見に同調する様子が多かったために驚き、失望した。

私はこの件で「女性が多く発言力を持てる場面」、「女性がていねいに扱われて働ける」、「男女共同参画が常識の日本」だから「さらに立場が弱い多様な条件下にある人の地位確保と人権保証も同時に保たれる」なんて事は、成立し得ないし、自分も含め女性の情報読解力と行動が底上げされない限りは絶対に進歩しないんだと痛感した。

明治大正からの女性運動の歴史的な功績に寄っかかって、女性を都合よく活用するための政治的な意図から繰り出された肯定言説や仮初めの政策、思考停止を招くエンタメやメディアに溺れてる状況が見えて、絶望要塞って感じ。

何故そうして想像力を奪われた事への気づきもなく、ジェンダー不均衡に怒らないでいられるのか、痛みを引き受け、角度を変えて共感を試みる作業を避けるのか?私には全く理解出来ない。


10000歩譲って私が他力本願の努力不足で「不貞腐れている」と批判され「甘んじてる」と言われても、私の努力や活動が「憶測を出ない他者の思想領域への侵害だ」と罵られても一向に構わないが、此方は毎日内心で日々受ける性別役割分業やトランス・同性愛者嫌悪に怒りながら、わざと意識や感情と反対の行動と意思の決定を選び取らなければならない。

お世辞にも共感し辛く、圧力をかけてくる身勝手な相手にサービスを提供しながら明るく楽しく過ごしているように見せる事は、万人には出来ない技術だと確信しているという自分の状況に対する見解は示すし、崩れない現実だから絶対に譲らない。

フジテレビ社長からの謝罪を引き出したこ
LGBTは左利きの人の数と同じくらいの人数とハンデだ」みたいな言い方をするタイプの当事者の団体アクションの雰囲気も、はっきり言って、メディアの恩恵(宣伝の結果としての寄付など)を受けてる「活動家」だから出来た皮肉がある。

日本の性的マイノリティの理解推進や話し合いのやり方は、例えばイタリアのTriesteで起こった精神病院の廃止法と精神障害者への差別禁止法を作った時代のように、対話を真向かいで仕掛けて喧嘩しながら法制度の整備と民間の地域住民の偏見誤解を解く作業を会話ミートアップで同時に進めて行くような能動的なやり方や、エチオピア人留学生の一意見のような「問題解決は話し合いのマンパワーやチームワークで可能」みたいなニュアンスの話しの示唆が、全く歯が立たない。

どこの国にもあるが、LGBT活動者のマスコミ出演などは、団体の資金集め広報合戦の汗の一滴、競争のタネであるからだ。

こう言う、多様性の議論になるとみなさま面倒なので「思想信条の問題」と片付けるのは世間の常套句で仕方ないとしても、自分自身は、思想信条に基づく活動は本当は全く思想信条の問題じゃなく経済活動や権力争いの一環だと言うことを踏まえた上で対応できる答えを、時間をかけて作っておきたいと思う。

「無くそうSOGIハラ委員会」の申入れは、かろうじて法的な問題(セクハラ男女雇用機会均等法、報道憲章への抵触)を指摘した。しかし「我々に利益を下さるフジテレビさまに、前向きで音素若な提案を売り込みしようよ!」という感じもあって、結局は大企業への擦り寄りが顕著だと思われても致し方ないと思うし、私にはそう見えてしまいもする。

同じような意見はTwitterや地方の非営利活動者のFacebookコメントに未だに絶えない。一般的な民間人の性的マイノリティとされる人々から落差が有る事は明白で、それに属する私を「無くそうSOGIハラ委員会」は代弁はしてない。

実際の左利きの人と過ごしたり、私と対極な生き方をする中国人の人々と話したりして、全然違う事を沢山教わるほうが楽しい。