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若干Bi-Fのハートコア

「じゃっかん」言い過ぎて親しい人にも若干移しちゃった。

高卒認定取得者の進路追跡調査(平成21年度)から思うこと

教育 日本社会 文化 雑感

  高卒認定取得者の進路追跡調査(平成21年度)から思うこと

 

 高卒認定取得者の進路追跡調査(平成21年度)を調べると、平成18年度のデータで進学就職準備、進学、就職のいずれでも無い人15.8%、不明が2.7%で、当事者である自分の体感としてこの確率は高いなぁとショックを受けた。一体何をしているのだろうか?と疑問に思った。このままでは大学進学の道具としても就活のための布石にしても寸足らずな印象なので、なんとかならんのかなと思う。

自由記述を読むと高認受験そのものも、予備校やサポート校で乗り越えた例が多い。高認取得後の「来年の進学準備」は24.6%と高い割合を占めていて、その他予備軍を生んでる感じもあるので、高認取得者の場合は、通常より長い期間に渡って予備校・サポート校・塾が頼りにならざるを得ない。家庭の資源に依存されていて、公的には全く保障されていない。

 

高卒認定の認知度の質の低さ「名前だけ聞いたことがある」が6割と、不登校の理解度も併せて国民の理解を求めることも必要。なんにせよ、8年前にミクロデータが出されたならば、今後はミクロデータに加え、質的調査での追跡を望むところ。

高卒認定合格者インタビューの自由記述欄には「受験科目数が増えて良いので高卒の資格を与えて欲しい」「受験しづらい」「現在(#インタビュー実施時)は就職を目指しているが、就職面接を一つ受けた際に、高校へ進学せずに高卒認定を経て大学へ進学した背景を聞かれ、あまり良い印象を抱いてもらえなかった。その意味では、もっと広く高卒認定について理解が深まって欲しい。」やっぱり合格当時は「頑張ってよかった」という感じにはなるけども、その後のQOLの問題としてそれぞれの間に学力・コミュニケーション能力、就労継続できているかどうかの落差かなりが大きいことが垣間見えてどんどん憶測してしまう、改善の余地が大変大きそうな気がしてならない。

高卒認定不登校当事者の地位確保の機会に繋がることが、就職難や社会的引きこもりと言うリスクを防ぐとか新しいリーダーシップを産む可能性は大いにあると思う。合格経験者側の動機が「このままでは生活を営むことができない」ほど求人で採用されなかった経験?人間関係でコミュニケーションが困難になった?から始まるパタンが多いこともある一方で、学歴・資格を使わずに芸能・スポーツ界などの派手ではない方法や「好きなこと」「やりたいこと」で、地方都市から学力競争にあまり関わらずに自立できたベストプラクティス情報も、割と見つかりにくい。

かなり無茶だけどゼロではないはずなんだけど、これは学校が意図的に多様な学生を出さない様に教育している証左なんだな〜〜と思う。大学進学後の学業を充実させられるかどうか・学生間での情報交換がどれだけできるか・教授と仲良く出来るかどうか・期日に適応できるか等も、高認の段階での土台固めが関わっているし、高認取得者の大学進学後は各地方の進学校から来た学生と再合流して、高専出身者、帰国子女、留学生とも競争することになることが、本当に質的にフェアなスタートラインに立てている状況とは言えないと思う。経験では、学士卒、院卒の大学学生支援のカウンセラーと話しても、経験の前提が違いすぎて通じ合えないことも多かった。

それにしても高認は高校教育という課程に過ぎなくて、地位向上に限界もあるけども、キリよく「卒業」として学歴欄の穴埋めが書けることは大事だと思う。個々の事情は別としても、複雑だから本人が隠す割合の高さ、説明のしにくさ、自分自身でも抱えさせられるスティグマが強すぎるなとは30を手前にしてよく思う。

それで、高認取得者に垣間見える、自己保身的な行動傾向が作る独特な上昇志向を孕んだ性格は、もちろん生きるために何割か必要な要素だけれど、進学先・進路先での資源を作る点・助けを求める能力・集団で協調することが求められる状況下で不利になりがちな為に自分が意識して過ごす必要があると言うのは、推察レベルだけど経験の勘でわかってるので気をつけては来たけども、バイブスが合う時が本当に少ない事も相変わらずな感じがしてならない。

自分が2007年に高認を取得してから今まで話した高卒認定取得者の数は10名以下で、とても少ない。その相手には概ね同じ質問をし続けてきた。あくまで進学目的の道具としての資格受験の利用が大半であり、試験内容も「簡単だ」と言われがち(というか、試験内容自体を簡単に作らざるを得ないだけ)で、中々大学入試センター試験の橋渡しにならない。さらには本当に高卒が要る人よりも、高校在学中で進級困難な学生の単位補填目的や、高校生活での保険を掛けるニュアンスで使われているような例が多くて、当事者からなんとなく軽んじられがちなのも気になるところ。高認経験者の話を聞いていると、努力論やハイパーメリトクラシーに押されているゆえに自己保身的にならざるを得ないことが多い印象もあった。私自身は高卒認定経験から10年くらい経過した者のナレッジシェアの場があれば、参加する必要もある様に思った。

大検からの改正で「高等学校卒業程度認定試験」が「学歴欄」に書けない「資格」にされてしまったマイナス影響は本当に大きいと思う。

参考

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2010/04/27/1291627_4.pdf

#パブコメ書いた 「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する基本指針の策定に向けた意見募集の実施について」

SOGIの問題 たいへん パブコメ 教育 日本社会 雑感

#パブコメ書いた 「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する基本指針の策定に向けた意見募集の実施について」

 

終わったパブコメ不登校当事者の生徒児童の教育機会確保に関する法案のパブリックコメントを考えて送った。悩ましい。以下の文でFBにも話しシェア。

私のFBのつながりはLGBTクラスタが多いから、遠慮無く言うと、LGBTクラスタの人には協力して欲しい件だった。関連のある問題のパブコメを必ずチェックして、連関を示す意見からのアイデアを寄せることは非常に重要だと思うんだけど。そのため期待もあんましてないけどここのパブコメから、いのちリスペクトホワイトリボンプロジェクトの統計を使い、LGBTQのいじめ被害率と不登校率の高さを裏付けに、LGBTの生徒児童の支援とLGBTQへの理解推進教育をしてくれと言う切り口も大いに試しはできるはずだと思った。

#パブコメ書いた シェアだけでも歓迎:是非よろしくお願いします。
義務教育段階での不登校児の学習の平等に関してLGBT発達障害発達障害グレー、潜在的な能力を伸ばす視点、生き方の多様性の肯定を語れる人は私より多いと思うので、パブコメ投稿して頂けると大変助かります。
「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する基本指針の策定に向けた意見募集の実施について」言い換えると、「小中学校で学校に行けなくても同じ教育を与えるために何が必要ですか」と言う話です。
逆に、学校で競争強者だった自認がある人はどう考えるだろうかと言う観点も興味あるので、投稿コメントをどっかで見せてくれるとさらにありがたいなぁとも思います。

という感じでFBに投稿。

 

で、本当にこのパブコメ送ってくれてた人がいたら本当に有難いよね。私のつながりのLGBTの「活動家」がこのパブコメを送ったという発言とか、私側も署名やパブコメに時間を割いているんだけども、ギブアンドテイク?自体は、全くと言っていい位起こっってないからね。でも私のFBつながりのLGBTクラスタには「LGBT支援者」、なんとかの「代表者」や優等生だったタイプの大学卒者が多いとか、生きてる背景なんか本当に全く関係ないと思ってるけど、出来ることの差異とか性格とか何を持って善としているかの価値観からくる難しさは残り続けるのよね、出来ることすればいいけどね(苦笑)

  個人的にはこの分野には諦めが多いので、先に述べた様なLGBT不登校の問題書いて、魅力的な学校についてもっと具体的に記して抽象的な案をもっと減らせ、生徒児童の自己肯定感を守り、高等教育課程から青年前期を見越して生徒の利益になることをとりわけ教える様に云々〜〜など色々と書いた。
それで、home educationを実践しているBAO君なんかすごいと思う。気になるけども、みんながそう生きられるわけじゃないもんね。渋谷区がやっている、ギフテッド教育の事業みたいなことをしている地方が他にあったら、スキルを結集して全国的なインフラにできればいいのかもね。
 
私には、いじめは撲滅するなら警察・法の介入まで必要な印象がある。さすがに子供でも、学校は行きたい・行きたくないに関係なく行く場所だと言う自覚の上で登校ができない罪悪感やジレンマで不登校していた様な経験は自分の子供時代はあった。
 
なので「気合いだ〜」という感じで生徒の顔色を伺って「魅力ある学校」にする必要性自体は全くないし、生徒にとって有効ではないと思うんだけど。余計な相談機関を増やして、生計も立たない待遇の非常勤職員の求人を増やす必要性自体も、疑問がある。それでも世の中は進んで行くのだろうけど。
 

 

 

映画 たかが世界の終わり Juste la fin du monde

映画 文化 雑感 美術教育

映画 たかが世界の終わり Juste la fin du monde

お題「ちょっとした贅沢」

 

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恋人は仕事のために世界の地方のどこかに行ってしまい、私は仕事の後の夜の時間が本当に手持ち無沙汰だ。けっこう辺鄙な恵比寿ガーデンプレイスに居ても何もない。本数が少なすぎる直通電車を20分待つのも面倒でどうしようもない・これから何の為に過ごすというのか…。

空腹でひとまず座りたかったので気になっていた映画館に立ち寄る。気取った映画館で、大きいコーラも安い揚げ物も置いてないけど仕方がない。少し何かを飲食するでも、すぐにそれなりに手が込んで、いちいち美味しく作られ、普段の1.5倍くらいの価格なのも、平気で受け入れる様になった。その分、最寄りでは何も買いたくなくなった。

たかが 世界の終わり されど 世界の始まり

「たかが世界の終わり」という題を最初に日本語で聞いた時に、何て前向きなタイトルなのだろうと思った。レジリエンス効いてるというか、心理カウンセリング内で、異常なまでにポジティブに切り返さないと持ち堪えられない時の開き直った切返しの様な。

原作の劇の題は「まさに世界の終わり」で、「まさに」は現在目の前のことを指している感じだし、映画の題の「たかが」は過去の、過ぎさった「世界の終わり」のことについて「たかが」と評価して言っていると思う。英語題は”It's Only End of the world”で大きな一つの出来事という感じで、フランス語題は”Juste la fin du monde”でさりげない日常に過ぎないと言っていて、随分と時間のポイントやニュアンスが違う様な感じが、面白くて気に入った。

 

たかが世界の終わり Juste la fin du monde 個人的な感想

優等生がよく振る舞う、中身のない思い遣りある言動を受け取らされる様な映画で、興味深く観た。実際グザヴィエ・ドランのインタビューをチラッと読んでも、そういう印象が崩れなかった。

絵画からの影響が強そう。光の当て方の操作で印象派バルビゾン派を思わせる様な画面を作っている。横顔、左に光が当たり、右は影と言った状況をよく使っている。ポスターのイメージの横顔の母親は少女の様。クリムト「ヘレーネ・クリムトの肖像」の様で、妹の部屋にはアンドリューワイエスの「ヘルガ」のポスターが貼られ、主人公の初めての男性経験のエピソードの終わりには一瞬だけロセッティの絵のポストカードが貼って有る?など。

美術史のエッセンスが散りばめられていて面白いというか、(非常に距離は遠いけれども)同世代の監督と共有できる要素がほんの少し有る事が普通に嬉しい。

鑑賞した日の自分のコンディションは人より物や物をめぐる人の行動に着目する感覚が強かった。序盤のシーンから、実家にありがちなことの連続を取り扱い、気を遣って盛り付けられた食べ物、身支度をする女性の騒がしいおしゃべり、ドライヤーの音や室内で唐突に掛けられる音楽の一つ一つが同じ情報のボリュームで迫り、観る側にある種の感覚過敏の様な体験を畳み掛けて来る伝え方が巧みだと思う。思いつき、多動的に動く母も、中盤からはどっしりと子を見守る存在へと落ち着いて行く。

心情的に「ホームレスネス」で有る事が歌われたサウンドトラックの歌を使って、主人公の状況を説明をいちいちしている感じもあった。主人公のルイが家を出たのは22歳で、決して早すぎる年齢でもないけれど、負わされていた役割は家を出る動機を与える位には大きかったのだろうか。父親は不在で、さらに主人公の存在が欠け、出かけてしまった家族を待ち続けなければならない苦しみを家族のそれぞれが必ず抱える理由までは示されないので、観る側が個人の思い出や現在形の状況を重ね合わせやすいかもしれない。号泣した。『かぞくのくに』も好きだけど、気に入った。もしフランス語の全台詞を読める「スクリーンプレイ」の様なテキスト本が出たら、この作品をリスニング用に繰り返し使っても飽きないと思う。

それぞれの人物がそれなりの過酷なぶつかりを続ける中、画中の色彩を豊かにする衣装、小道具、室内調度と人物の顔面アップの多さが見事な皮肉になっている。物語は夏の日曜の1日を追っていて、喧嘩の場面で夕立を起こしたり晴れたりする天気の変化、車も登場人物の象徴として重要な役割を果たす。

原作が戯曲なせいか、登場人物たちが通常の劇映画よりも大量に喋る。彼ら同士が会話をするにもかかわらずコミュニケーションができない事の繰り返しと、言語でないやり方でコミュニケートする事の掛け合わせが絶妙で、見入ってしまう。ヴァンサン・カッセルが演じる長男が特に、男らしさの病・長男という役割の背負いこみを見事に演じていて、引き込まれる。

登場人物、特に女性の方が全員それぞれ抑圧された立場として落ち着くけどそれはそういう作り方なのだろうかな、と思う。主人公が前提として「家族に死期を伝えに行く」というのが最初でわかりにくかったのは、自分がちゃんと見てなかっただけなのか…。

ともかく、TVに降りてきたものを見てしまうとここまで考えたりはしないと思うので、興味あったら見て見て。

 

まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔 (コレクション現代フランス語圏演劇)

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たかが世界の終わり - Wikipedia

 

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