地方でLGBT当事者の協力者=ALLY(アライ)になる22のメリット
ブレスト的に、主にLGBT当事者団体が提唱してきた主張の中からLGBT当事者の協力者であるアライになるメリットをこと細かく挙げてみる。
- 人間関係の幅が増え、楽しいイベントや嬉しいこと、おめでたいことを共有できるよ。
- 耳を傾けること、彼らの発信を読むことで忍耐力が身につくよ
- 他者への共感力、他のマイノリティーへの思いやり、想像力が豊かになるよ。
- ボランティア活動を通じての協力ができるよ。
- カミングアウトという概念に反対でもLGBT当事者の仲間であると示せるよ。
- 子供たちをいじめから守るのに必要:子供たちをいじめの被害者にも加害者にもさせないよ。
- 児童生徒たちを危機(性的虐待など)から守るために必要だよ
- 大人のいじめや村八分も減らすよ
- お互いにゆったりと人間関係を作れるよ。
- 孤立を減らせるよ。
- 精神衛生に良いよ。
- 地元企業のCSRにプラスだよ。
- 企業は「顧客の気持ちに沿ったサービス」にプラスになるよ。
- 職場の改善、特に人手不足の事業所にプラスだよ。
- 職場環境の整備の面でセクシュアルハラスメント、労働問題などの人災を防ぐよ。
- 職場の業務改善においては接客でのトラブル、違法な品物を誤って販売してしまい取り締まりにあうなどの法的な知識が無かったゆえの失敗を未然に防ぐために必須だよ。
- 少数者にもスポットを当てることで能力がある人材獲得に繋がるはずだよ。
- 合理的配慮を当たり前に感じて実践していくことで問題解決力が上がるよ。
- 勤続意欲を維持して全体の生産性が上がるよ。
- LGBT当事者だけでなく女性の参画も促進するよ。
- LGBT当事者向けビジネスを展開することもプラスな動きだよ。
- よそから来る人々を前向きに受け入れられるようになるよ。
メリットがあるからアライになるのだろうか?
人権は本来は無条件なものに関わらず、LGBT当事者の側が非当事者に対して実に様々な、ほぼすべての分野に言及するような陳情やステレオタイプだらけのセールストークを話して合意を求めなければならなかったこと自体が、当事者を分断する間接的な要因のようだと考えてしまう。結果としてアライになる•させられる場合だってある。
動機、背景がどうあれ、他者の痛みを共有するとか、他者の荷を一部負うことに生きがいを感じるなら、「アライになりたいから入れてください」と明言するのはアリだと思う。「村で一人のアライ」とか「村で一人のゲイ」のフェーズが有っても良くない?
「プロ」だからアライになる・アライをするのだろうか?
- 実際の所アライをやると日常場面で「下世話な話アレルギー」や「敏感に切れる人」「フェミかぶれ」に傾きかねない(そういう真面目な人は好きだけどw)
- アサーティブネスの無さを痛感する
- アライ、LGBT協力者になる理由は様々で、ストレスを解消したり吐き下せる方法はほぼ個人個人の領域に委ねられているのでは?
- とはいえ、私の中で即興だけで22項目くらい上がったメリットのようにLGBT当事者が適応したことで現在のような「理解」の「前提」が見事に作られたのならば、否定してはいけないはずだと受け止めるほかない。(当然、深刻な理由を含めればこのほかにも沢山上がり、リストは「アライにならなければならない理由」へと変化していく)
- しかし、「稼ぐLGBT当事者」や「稼ぎそうなLGBT当事者」でなければ協力できないし説得力も無いのか?
- 「コミュニティー」と言った文化がなくてもパターナルに傾かずにLGBT当事者を条件なく守る事は可能なはず。
- 未成年者に対する教育や支援をしている方々は未成年のLGBT当事者を講演スピーカーとして学校に派遣させたりしているが、優等生なLGBT当事者に、新しい社会的リーダーに育てたいとか思っているのか?(それはそれで一つの道として有りだとは思うが、それで良い状況が作れるのかがきになる)
- 国家に従順な存在である事を訴えるためにLGBT当事者の協力者である事を伝えるのだろうか。
- 様々な意味でドロドロな欲望の位相も含めた「思いやり」が有難く非常に大切で、かけがえがないことであるが、そこに「絡め取られない自律性」を、対人支援職でも何でもない個人がどう作れるか?
ここまで思いつめることが可能になることもメリットのように感じるから、田舎でLGBT当事者に対するアライになることをお勧めしたいw