大学はマイノリティの受け皿となり得るか「大学学内の性的マイノリティ支援の整備」を「求めた者」「通した者」として伝えざるをえないこと
8月5日に報道された一橋大学アウティング転落死事件(一橋大学法学部法科大学院の学生間に起きたアウティングが原因となった自殺)を受け、悔しさと共に被害者の冥福を祈っている、この問題からいくつもの取り返しがつかない厳しさを教わる。
事件報道からわかる経緯全体を読む限りでは、行動の制御が効かなくなるような薬を服用していたという点から、せめて無理矢理にでも本人を引き止めて模擬裁判に行かせないことで十分に防げたかもしれない…非常に残念な事件で、先週末は祭りどころでなく、祈りともなりきらないような、悶々と思うことの多い週末になった。
(以下の話は、相談先を紹介する内容にはしてません。語り合える場がすぐそこになく簡単に行けないので、モノローグを語ってみているという感じの内容です)
唯一「それでもなんとかして生き延びて欲しかった」と書かれていたコメントだけが、支えになる言葉ではないだろうか。
これからも続く裁判は経済と精神の両面を消耗するであろう事を察し、ご遺族の方々の安寧のためにもすべての事実が明らかになって欲しいとおこがましいのに考えをめぐらせている。Twitterでは報道による急激な情報の周知で、当事者の文筆家・当事者の専門研究者の方々や当事者の政治家もリアクションし、大学教員を名乗るアカウントからの言及も見られる。大学側に責任を求めることへの賛同から、性的マイノリティに関する知識の誤認を突く典型的な意見が多く「現場知らないとこうなるよね」と、机上の空論への懸念を強く感じてしまった。
「法律を学んで将来は法律家になる人々なのだから人権を芯から理解しているはずなのに」という、世間の過剰な期待が現れたコメントにも舌を巻いた。人権の理解以前に日常の卑近な出来事を受け止めてやっていくことに、学歴や肩書きは何の関係もないはずなのだし、加害した人々も通常通りのエスカレーターを経て法律家になっていくのだろうか?と、いつも通りの失望に黙り込んでふたをするような、それではいけないのではと葛藤に見舞われる感触だ。
取り返しがつかず、大学の学位取得を諦めた性的マイノリティ当事者もゼロではないはずだ
あの個人的な原体験から3年と経たないうちに事件が発生したことに激震が走ったのだ。私は美術大学の学位取得を諦め、性的マイノリティ当事者の学生支援を大学側に陳情し、実現させた経験を持っている。そのための署名活動から、その場の勢いで署名をくれた方々にも、ある種の申し訳なさも綯い交ぜにしながらお礼の結果報告をしたし、陳情に協力してくれた学生への聞き取りの中でもピアとしての適切な声がけをとっさにできなかったこともあった。
ジェンダーセクシュアリティーの基礎を学び、気を遣っているとしてもアウティングになりそうだったり、そのジェンダーを持つ人にとって気に触る質問をしてしまい取り返しがつかなかったり、相手に失礼なことを言ってしまったことも多く、しばしばそれを思い出すことも多い。(急いでピアカウンセラー講座を受けた時には在学年限になっていた)
その活動以前にも、依存症に罹った学生が学部研究室の教員の職権と強い感情的な排除の姿勢で下した「処分」の状況を目にしていたことと、悩む学生と直面したが繋げなかった出来事が重なったことで、芸術科の高等専門教育の体質を憂い、コンプライアンスの問題の側を重く見た。「自分の大学中退は致し方ない」と決めてしまい、まずは学内の性的マイノリティの支援を求める署名を行った。
その経験それ自体は「自分で決めたんだから自己責任でしょう」と捉えてはいるが、必要以上の犠牲を払って結構な専門的な無償労働をした消耗感や「その後の不自由」と言える自分自身の問題は今でも抱えて過ごしている。
当時は芸術教育の現場では依存症について正しく伝えない場合が多かったことから、依存症初期患者のすくい上げ提起も盛り込み、学生課との協議を続け、学生支援委員会に問題を提起し、年度の記録に残す形とした。
そこで経験したことから考えると、事件のような事態を引き起こす組織の性質もうかばれた。私は法律家養成の制度を知らないけれど、その閉じた世界の特質も勿論あったに違いないということが報道から感じ取られる。事件のようなことは、自分にも紙一重だった印象が強い。
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組織の風通し穴を開ける当たり前の作業が、ハズレくじを引いた者の役割に追いやられている。
- 大学の各部署の横のつながりは最初から無いと思っておくべきもの
- トレードオフ的な観念が相談をさせにくくする
- ハラスメント相談、学生支援相談室、保健センターが学生にとって有利に機能しない場合が多いこと(学生支援専門の臨床心理士を派遣する人材派遣会社で賄われている場合、年度ごと相談員の入れ替わりが激しく引き継ぎもないなど)
- 引き継ぎ・連携の失敗と誤解で、マルトリートメント(状況を悪化させる支援、一橋事件の例であれば極端な病理への押し込め)や問題児的なクレーマー扱いを繰り返す状況が起きる
大きな組織なので性質はすぐに想定がつくが、学生としてこれから大学に入るなら風通し穴を作るために群れるのは大切なポイントだと思う、抜け出したいと一心に成績を伸ばし、大学に入ったならば、待っているのは孤独な作業の多さだから。
「適切な支援」のハードルの高さに学生課も苦悶している
やはり、性的マイノリティ=性同一性障害、というイメージが強いという発言を受けるとき、複雑でよく分からない、と言われるとき、多数派から見た弱者であることを有無を言わさず認めざるをえない「病理」のかたちでしか違いと認めることができない圧力があるのだと思う。
陳情活動に使った情報
- 在学生のニーズの聞き取り
- NPOが出した統計、健康調査統計、いじめ調査統計
- デザイン・芸術分野の進路となる企業が対応した問題の例(LIG社のSoftbank広告の事例、アメリカ任天堂のクレームの例)海外の事件事例
- 国内の大学と企業の取り組みの紹介
- 自分の大学との交換留学校の取り組みを紹介
- 季節的な問題:学祭オネエネタ企画の問題点を実行委員会に要請し脱オネエネタの内容へ。
と、あらゆる資料とあらゆる他人の事例を使って強い危惧を訴え、半ばクレーマーの様な形で活動を行うために、知りえた方法を即実践しなくてはならなかった。今いろいろなNPO法人が行政からの委託で学校や地域に行っている「入門講座」のような話をしてから学内の施策を定めてもらうまで、2年かけた。学生課長は最大限に尽力してくれ、先生方には相当な再検討をしていただいたので、どうにか機能しているものと信じたい。
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の件の対応をした時点で、科目履修とその大学での卒業は諦めていた。本来専攻していた芸術学の課題がこなせず、サークルとして組織もできない生活の中、学内で対処していくことを決議させ、自分自身は学位を取らず退学した。
自分自身は監査人でもなんでもない元学部生でしかないので、その後に制度が使われた例や学生にプラスな影響があったかどうかは確認ができず、取り組んだことが本当に貢献と言えたかどうか、今も確信は持てていない。
大きな組織の横のつながりが悪いよという話を適合する部署に通して、ようやく一人の職員さんが他部署への連絡に取り組み始めたなら非常に幸運なことで、クライエントである学生自身にも「相談して時間を取られるくらいなら〜したい」「〜な相手にはわからない」「経済的な問題を優先する」「他人事に一切関わらないことを決めている」など相談しづらさがあるところを貼り紙などに説得する文言を書いて案内するのも学生課、学生支援相談室の力量にかかっている。
「学生支援相談室で性的マイノリティの相談にも乗りますという告知」をする際に、当時"SOGI"がまだ馴染んでいなかったことで、"LGBT"と表記するべきなのかどうか、かなり悩まれて、”多様な性”や”心と体の性”にしてはどうかと話が落ち着くまでにも夏休みをはさんで半年はかかっている。相談室へ呼び込むことに学生課も苦悶しているが言葉として不完全であっても、伝わる表記についてが最優先になり、様々な「配慮」は残念ながら社会の理解と寛容さの度合いが写し鏡になることもある。
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大学の内部機関はほぼ何も担えないが、使い倒せば良いはずだとも思う。
私は「相談して時間を取られるくらいなら〜したい」「自分以上の苦労をしていない相手に話はわからない」と思っても学生支援相談室が最低限は持ち合わせた専門性に基づいた返答と時間つぶしを提供してくれるならば、半信半疑でも使い倒せば良いはずだと思う。学生支援相談室はそれこそトレードオフした判断と、それぞれの自己保身を支える機能が本分だと思うからである。
学生自身が抱えがちな能力主義・努力論・トレードオフ的な観念の「解除」というのは、紛争解決のネゴシエーションや洗脳の解除に近い感じがして、ピアでは無理な領域だと思う。観察ばかりして感受性が高いと、割を食うことに気づかないことも多い。相談室なんてものは、多くの場合は大学の職員の方々と非正規の派遣で働いている臨床心理士の方々の雇用のための側面が大きく、結局は職業の世の中なのだろうとも思う。相談者にどう感じさせるかは、相談する側がどれだけその不完全さを許すかどうかという点と、担当者の力量の2点が産む関係性次第である。
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遅くとも学生支援室、研究所、研究センターという暗い灯台の下に意図して集うべきだろう
文系出身なので文系の研究所、研究センターでありがちなことしか想定できないが、先進的な取り組み事例「研究センター」の活動の内実が、その分野の教授や講師の活動予算確保と研究発表の機会確保の一つの派閥作りのやり方でしかなく、学生が気軽に触れる・利用することが出来えない空気があったのかな?というところや、研究員ばかりが特権的に使うユートピアツールのような組織だったのかなという所に静かなるショックがある。学部学生が能動的に研究所に親しむことで、研究所がおかしな上澄み聖域に変容することを防ぐ可能性がある。良心的な所員の教授であれば、その教授が学部生レベルに対しても研究所を開くこともあるだろう。
研究所こそ学部生のトポスだ
あんまり言う気ないけど、教授たちが「豪華ゲストを招いた」特別講義や特権的な研究か華やかなマスコミ対応か何かばかりしていて、「豪華客員教授」が講義するのは5年に一回あるかないかで、様々な意味で選りすぐり、すべての下準備やほとんどの基礎教育は講師や助手に丸投げのお粗末な状況でも研究センターや研究所というのは、大学内部にいればその組織の花形に感じさせられ、権威的に感じてしまう場所だったりするのではなかろうか。高い学費を出したのだから、研究所へは図々しく通うべしだし、研究所主催のイベントスタッフをするなどして顔を広めるのは有効な手段だし、あえて断られるために読書会での利用の問い合わせを繰り返ししつこくするべしだ。私もそうしていた。
受け皿探しをやめる・・・
そして自分が過去に取り組んだ事が結局は他者へのたらい廻しへの加担だったのかな?といった無力感もまぁまぁある。自分と社会の切り結び方の在り様や関係構築の学習の結果として上記の交渉の方法は歓迎されず需要も低いので、私はレジリエンスを強める必要があるし、言葉の言い表し方をさらに変えなくてはならないし、組織の人間関係や組織で起きる困難な状況に対する捉え方をほとんどすべて、再構築しなくてはならない、と思っている。