浅川マキを歌っていた・浅川マキが実に明るく歌われるようになったのだなぁ
オリンピック日本プレゼンの勢いにも引いて、彼女を探してしまったら、 寂しい限り。どこにでもいる楽しそうなマキびたりバンドが、映像をyoutubeにライブを更新しているのだから…楽しそう…
私は2000年代後半、youtubeで浅川マキの歌を見つけて、日常の夜道が灯された。高校に通う道すがらスナック街を通って、浅川マキを歌いながら少ない街灯だけを反射する底のない河川を観ていたのだからお互い様だ。
浅川マキを深く詳しく知っている人々にも最初からお手上げだけれど、聞いてみたい。どんな人柄だったのか…今くらい暇だとマキ気取りのバンドボーカリストも、誰かいい歌い手はいないものか?と、その辺の通行者を見ても邪に思うだろうか。いつでもいいのだが浅川マキの歌を一緒に歌わなくてはならない、あの難しさは愛しかったと、最近レコード盤から聞いて思い直した。
浅川マキの歌は実に深く、滑稽で辛気臭く、美しい歌だった。本人の肉声は聴けなかった。実はラジオのインタビュー音源をyoutubeで聴いて、生前は聴きに行きたい気持ちも起こらなかったのだ、ボソボソと答えて、歌いだすと人を寄せ付けない遠心力を感じたのだ。本当のところを知ってみたい。
浅川マキの歌唱。深いダミ声の分岐する瞬間、あの震え。誰にも真似できないささやき、ツヤのある柿渋のような声色は何度歌っても、誰が歌おうと出せやしない。
かもめ 前奏は口笛で。何度歌ったことか。 漆黒の10代。
裏窓 かもめ 不幸せという名の猫 ちっちゃな時から 夜があけたら こんな風に過ぎていくのなら 町の酒場で 私が娼婦になったなら 朝日のあたる家
一人で夜道でよく歌った、歌いながら歩いて、よく無事でいた。
…さみしさには名前がない はないちもんめ めくら花 前科者のクリスマス ジンハウス・ブルース セントジェームス病院 赤い橋 少年 それはスポットライトではない あの男が死んだら 他の歌もまだまだ覚えていない。