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若干Bi-Fのハートコア

「じゃっかん」言い過ぎて親しい人にも若干移しちゃった。

ベルナール・パリッシーとルネサンス

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ベルナール・パリッシーとルネサンス

 
ベルナール・パリッシー(1510~90)はフランスの陶芸史上では最も重要な人物の一人です。 日本の陶芸に対しては、宮川香山の眞葛焼におけるリアルな動植物の触感の表現や柿右衛門の伝説に影響を与えました。左の写真のパリッシーの作品は魚もすべて陶器でできています。
 
レオナルド・ダ・ヴィンチしかり、ルネサンス期の歴史人物は多才な好奇心の塊だと感じさせます。力強く勤勉な努力家、果敢にたくさんの物事を成し遂げてしまう点が際立ちます。パリッシーは陶工にとどまらず、測量技師、鉱物学者、ガラス職人、地質学者、そして宗教活動家といった様々な側面を持っておりました。パリッシーはルーブル美術館メトロポリタン美術館に所蔵があり、美術館の公式データベース上でもっとも重要な作品の情報があります。探されると写真を見られるのでお勧めです。
 
蝶、昆虫、爬虫類、両生類、魚類、植物、小石や川の水のギラっとした触感や、磯にへばりつく藤壺や川のタニシのような貝類のディティールそのものを見事に再現しています。経年による釉薬の酸化が玉虫色のような唯一無二の照りを作品に与えているといいます。
 
 
現代にバルボティーヌ(別名をマジョリカという。やわらかく凹凸のある陶器)として引き継がれている陶器の起源だとされている、パリッシーの「田舎風陶器」 右の写真のような大皿やピッチャーに、生き生きとした農村の人物のレリーフの作品や、中央で蛇がとぐろをまき、イグアナやトカゲが縦横無尽に施されているという意匠と技巧が遺されています。
 
 
美術館の展示空間においても、パリッシーの器が展示される際に適切な照明が当てられたならば、どれほど艶めかしい表情を見せるのでしょうか。パリッシーの陶器作りへの芸術的な技巧への情熱がこもっています。
 
パリッシーの作品からは、蛇などが苦手な方にはギョッとされるほどのリアリティがあり、右の写真からもその勢いが伝わります。
 

パリッシーと柿右衛門伝説の由来について

 
1500年代、ルネサンス期のキリスト教プロテスタント(当時としては新宗教であり、フランスでは特にキリスト教の宗教論争の的でした)の信徒であったパリッシーは、カトリックへの改宗か国外亡命を迫られます。そして彼にチュルイリー宮殿内に工房を与えたうえで擁護者であったという王妃のカトリーヌ・ド・メディシスバスティーユ牢獄に投獄されてしまい獄死するという悲惨な出来事にも直面しました。
異彩をはなったという点で、世間の非難や批判を受けつづけるような試練にも耐えました。貧窮の中、独力で様々な色の釉薬を生み出し、ついには牢獄で信仰に殉じたパリッシーの献忍不抜の生涯は、日本においては明治初年の大ベストセラー『西国立志編』(さいこくりっしへん)として出版されました。
原作はサミュエル・スマイルズ作「自助論」であり、現代ではすっかり簡略化された形で自己啓発の書として親しまれているものです。同書ではマイセンのベドガーとジョサイア・ウェッジウッド、パリッシーを三大陶工として紹介しています。
宮川香山、柿右衛門が生きた明治期の日本人の間で、この本はベストセラーとなりました。
 
フランス文学者の渡辺一夫は、『フランス・ルネサンスの人々』岩波文庫「ある陶工の話」p.87のなかで 『パリッシーは、神学や哲学を論じはしませんでしたが、正しいものと信じたればこそ、いずれ新教(プロテスタント)を奉ずるに至るのでしょうし、他人ができる以上自分にもできるはずと考えたればこそ、あらゆる苦心をして陶器の製作に従事し成功したのでしょう。間違いだらけの自然科学的知識が横行しているのはいけないと考えたからこそ、有名な公開講演も行うことになったのでしょう。そしてその一筋の道の果てには牢死があったのでした。無辜の民とはこういう人だけに与えられる名称にしてほしいものです。』と論じています。「自助論」には窯を炊く燃料にも窮したパリッシーが、ついには家具や棚板までも燃やしてしまい、妻子を驚愕させたという逸話が記されております。柿の色を出すために苦労を重ね、燃えるものを手当たり次第に窯に投じた日本の「柿右衛門伝説」はこの伝記が由来しているのではないかと言われています。
 
確かな査定の為、作家名の漢字をくわしくお聞きし、作品に関してきめ細かな質問と確認を心がけております。
(参考:ヨーロッパ陶磁のみかた 大平雅巳 東京美術)
 

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 ※参考文献あり