若干Bi-Fのハートコア

「じゃっかん」言い過ぎて親しい人にも若干移しちゃった。

映画 たかが世界の終わり Juste la fin du monde

映画 たかが世界の終わり Juste la fin du monde

お題「ちょっとした贅沢」

 

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恋人は仕事のために世界の地方のどこかに行ってしまい、私は仕事の後の夜の時間が本当に手持ち無沙汰だ。けっこう辺鄙な恵比寿ガーデンプレイスに居ても何もない。本数が少なすぎる直通電車を20分待つのも面倒でどうしようもない・これから何の為に過ごすというのか…。

空腹でひとまず座りたかったので気になっていた映画館に立ち寄る。気取った映画館で、大きいコーラも安い揚げ物も置いてないけど仕方がない。少し何かを飲食するでも、すぐにそれなりに手が込んで、いちいち美味しく作られ、普段の1.5倍くらいの価格なのも、平気で受け入れる様になった。その分、最寄りでは何も買いたくなくなった。

たかが 世界の終わり されど 世界の始まり

「たかが世界の終わり」という題を最初に日本語で聞いた時に、何て前向きなタイトルなのだろうと思った。レジリエンス効いてるというか、心理カウンセリング内で、異常なまでにポジティブに切り返さないと持ち堪えられない時の開き直った切返しの様な。

原作の劇の題は「まさに世界の終わり」で、「まさに」は現在目の前のことを指している感じだし、映画の題の「たかが」は過去の、過ぎさった「世界の終わり」のことについて「たかが」と評価して言っていると思う。英語題は”It's Only End of the world”で大きな一つの出来事という感じで、フランス語題は”Juste la fin du monde”でさりげない日常に過ぎないと言っていて、随分と時間のポイントやニュアンスが違う様な感じが、面白くて気に入った。

 

たかが世界の終わり Juste la fin du monde 個人的な感想

優等生がよく振る舞う、中身のない思い遣りある言動を受け取らされる様な映画で、興味深く観た。実際グザヴィエ・ドランのインタビューをチラッと読んでも、そういう印象が崩れなかった。

絵画からの影響が強そう。光の当て方の操作で印象派バルビゾン派を思わせる様な画面を作っている。横顔、左に光が当たり、右は影と言った状況をよく使っている。ポスターのイメージの横顔の母親は少女の様。クリムト「ヘレーネ・クリムトの肖像」の様で、妹の部屋にはアンドリューワイエスの「ヘルガ」のポスターが貼られ、主人公の初めての男性経験のエピソードの終わりには一瞬だけロセッティの絵のポストカードが貼って有る?など。

美術史のエッセンスが散りばめられていて面白いというか、(非常に距離は遠いけれども)同世代の監督と共有できる要素がほんの少し有る事が普通に嬉しい。

鑑賞した日の自分のコンディションは人より物や物をめぐる人の行動に着目する感覚が強かった。序盤のシーンから、実家にありがちなことの連続を取り扱い、気を遣って盛り付けられた食べ物、身支度をする女性の騒がしいおしゃべり、ドライヤーの音や室内で唐突に掛けられる音楽の一つ一つが同じ情報のボリュームで迫り、観る側にある種の感覚過敏の様な体験を畳み掛けて来る伝え方が巧みだと思う。思いつき、多動的に動く母も、中盤からはどっしりと子を見守る存在へと落ち着いて行く。

心情的に「ホームレスネス」で有る事が歌われたサウンドトラックの歌を使って、主人公の状況を説明をいちいちしている感じもあった。主人公のルイが家を出たのは22歳で、決して早すぎる年齢でもないけれど、負わされていた役割は家を出る動機を与える位には大きかったのだろうか。父親は不在で、さらに主人公の存在が欠け、出かけてしまった家族を待ち続けなければならない苦しみを家族のそれぞれが必ず抱える理由までは示されないので、観る側が個人の思い出や現在形の状況を重ね合わせやすいかもしれない。号泣した。『かぞくのくに』も好きだけど、気に入った。もしフランス語の全台詞を読める「スクリーンプレイ」の様なテキスト本が出たら、この作品をリスニング用に繰り返し使っても飽きないと思う。

それぞれの人物がそれなりの過酷なぶつかりを続ける中、画中の色彩を豊かにする衣装、小道具、室内調度と人物の顔面アップの多さが見事な皮肉になっている。物語は夏の日曜の1日を追っていて、喧嘩の場面で夕立を起こしたり晴れたりする天気の変化、車も登場人物の象徴として重要な役割を果たす。

原作が戯曲なせいか、登場人物たちが通常の劇映画よりも大量に喋る。彼ら同士が会話をするにもかかわらずコミュニケーションができない事の繰り返しと、言語でないやり方でコミュニケートする事の掛け合わせが絶妙で、見入ってしまう。ヴァンサン・カッセルが演じる長男が特に、男らしさの病・長男という役割の背負いこみを見事に演じていて、引き込まれる。

登場人物、特に女性の方が全員それぞれ抑圧された立場として落ち着くけどそれはそういう作り方なのだろうかな、と思う。主人公が前提として「家族に死期を伝えに行く」というのが最初でわかりにくかったのは、自分がちゃんと見てなかっただけなのか…。

ともかく、TVに降りてきたものを見てしまうとここまで考えたりはしないと思うので、興味あったら見て見て。

 

まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔 (コレクション現代フランス語圏演劇)

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