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若干Bi-Fのハートコア

「じゃっかん」言い過ぎて親しい人にも若干移しちゃった。

文科省のパブコメ結果をキャッチアップ。

文科省パブコメの結果をキャッチアップ。

教育指導要領改訂、「聖徳太子」維持で喜んでる人もそうで無い人もみたいな感じだ。

偏って無い人の関心と言及力が低いと、今回のような極端な内容になってしまう。

芸術教育・芸術鑑賞はナショナリズム推進のツールでは無い。

図工・音楽・芸術への要望に関しては、やたらと右傾的な意見者の道具のような扱いで「日本伝統の文化」への偏りが見られた。

 芸術教育に関しては、相変わらず鑑賞の視点が欠け続けると、結局、芸術系は「変わり者」のお祓い箱で「どんなに妙竹林な先生がいてもOK」ということが続くと思う。

多角度から歴史を見ることによって同期させるとか、転用された作風か作者名の想像がなんとなく着くとか、ものを見た瞬間から「何を信じ、どんな暮らしの元でその作品が作られたか」を常に想像する習慣がどれほど大事か。それは「目利き」というブラックボックスによって商売道具にされるようなことであってはならない。にもかかわらず、美術の先生自体にもこのことに対する理解者は少ないと思う。学校であれば全学年の授業を1人で受け持ってルーティンさばきに多忙なのだろうし、お教室であれば、あらゆる方法で、生徒集めて、教室回す一方で自分のモノ作って発表で精一杯なのだろうし。

さすがに昭和じゃないんだから芸術を選択してしまった人が「田舎から都会に出て偶然当たったから良かったね」や、「才能があって良かったね!」「美人で良かったね!」では済まされない。美術は教える以上は在る程度のコスト元を取らせるために教えるのだということを美術教育学会側が自覚していく動きがなされないと、美術大学は「電通予備校」であり続けるし、美術業界はM.T氏がTwitterで振りまくようなハイパーメリトクラシー前提の暴言がまかり通り、批評家や蒐集家、経営者による若手へのセクハラパワハラは当たり前、コンプライアンスも皆無ななか、「フェミニスト」と言って揶揄的にあしらわれる、女性性を利用しきった勝ち馬的な女性しかキャリアを作れないといった業界であり続けてしまう。

最近、知人じゃ無いけど子供と同席してご飯を食べた時に、彼女は図工が好きだったらしいけど「算数やりな!算数最高、超便利、算数やれば図工も天才になれるよ、算数がわかって図工がグンと上手になっても図工から算数の世界で上手になるのは絶対に苦しいだけだよ!」って言っちゃったし。本気で必死で。ホッコリとビールを飲みながら、「美大かな?ははは」なんて大人はいうから、必死で「世界は広いんだから絶対やめときなよ」って即答した。(世界も、世間も、本当は広くは無いんだけども、美大よりは良いから)「美大は良いよ」と言える未来は?来ないのかもしれない。「あのとき俺たちはまともだったよね(苦笑)」同窓生はそんな風に言い切る。彼と私が見ていた風景は真逆だ。「私」たちは、「まとも」だったけれども、「まとも」だったらやっていけるかどうかは、全く問題は別モノだ。

 

図工・音楽への意見は、鑑賞から現代の問題や現在報道されて居る問題に対して想像したり意識を発させる視点がかけていた点、意図的に身体的な表現力や発想力を伸ばす視点に欠けた内容だった点は、かなり気になる。社会も領土の話ばかりが多いし、理科・算数への言及はそのものが少ないし、国語は英語に時間を減らされることを防ぎたくて、しかも非論理的なままという感じ。「がん」に関する記述が在るなら、「難病」だっているかもしれない、プログラミング教育に対する要望も興味深く読んだ。

 

LGBT,SOGIへの要望は「現代的な諸課題」「保健体育」に記載。

今回、私が一番着目した性的多様性の保障と理解に関する要望を探すと、極端に意見が割れていたことが判った。明らかに、性別二元論に従わない選択肢は無い、という考え方をする者と性別二元論やめてくれよという者との意見の衝突が障壁になっていた。

個別的な配慮対象として指定するだけか、配慮すべき集団として”SOGIE”の個々人の違い認めた上で学習させるでは、まるで雲泥の差だと思う。

そして、「カウンセリング」という習慣とサービスが、学校という評価軸でのボトム側に在る「問題ある者」のための「解決装置」的なあり方でしかないのか。カウンセリングを受けさせられる・使う・ある組織内においての「配慮」として「使わされて」いくことに関して本当に考えさせられている。

 

・性的マイノリティについて規定し、保健体育科などの「異性への関心」を削除すべき。

・男女の体の成熟についての一般的な知見、異性への関心や性衝動に関する指導は必要であり、性的マイノリティへの配慮は指導内容ではなく、個別のカウンセリングなどで対応すべき。

 

回答:新学習指導要領においては、総則において、新たに児童生徒の発達を支える指導に関する項目を設け、「個々の児童生徒の多様な実態を踏まえ、一人一人が抱える課題に個別に対応した指導を行うカウンセリング」などについて規定しています。
御指摘については、文部科学省として、平成27年4月30日に「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」(通知)を発出しており、学習指導要領の規定や同通知を踏まえ、各学校においてカウンセリングなどきめ細かな対応が行われるように指導してまいります。
なお、体育科・保健体育科においては、個人差はあるものの、心身の発育・発達に伴い、「異性への関心が芽生えること」等は思春期の主な特徴の一つとして必要な指導内容です。また、体育科・保健体育科で、上記通知で言及されているいわゆる「性的マイノテリィ」について指導内容として扱うことは、個々の児童生徒の発達の段階に応じた指導、保護者や国民の理解、教員の適切な指導の確保などを考慮すると難しいと考えています。

 

個人的には別に、思春期を過ぎても、一生〜異性への関心が芽生えないどころか無いって人、薄い人は本当にたーくさん居るし、ぜーんぜん素敵・オーケー、と思うんだけど。前提として共有される幸せ像のパターンの少なさの方が、よっぽど気になるんだけど。

 

・「がん」についての記述を充実すべき。
回答: 今回の改訂では、中学校保健体育科〔保健分野〕において、健康な生活と疾病の予防に関わって、がんを取り扱うこととしており、充実を図っています。

 

HIV性感染症への啓発が進歩?
HIVを含む性感染症の教育について、記述を充実して欲しい。
回答:現行の学習指導要領に引き続き、感染症の予防の中で特にエイズ及び性感染症について取り扱うこととしており、その予防には思考力、判断力等が重要であることから、それらの資質・能力の育成と関連させて充実を図ろうと考えています。』

個人的には性別二元論に沿わなくても適応させられる分野に対しては性別二元論に沿わないで扱われるべきだと考えて居る。散々「拡散歓迎」に従ってあげてパブコメを送っても、克服されるべき「性別二元論」によって、こんなに内側が割れていたためにまとまらなかったのが明らかで、性的マイノリティ側が他の科目への関心を向ける必要も大きい次第でしょう。次こそ再び内輪割れを起こせば、もう今の世代が存命してる間に性的マイノリティについて教育が取り上げて、性別二元論的な記述を削除の実現なんてことは、本当にできなくなってしまう。

 

 

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