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Italia amore mio! でベベ・ヴィオ選手のトーク

先日の日曜日はItalia amore mio! イタリア企業見本市の中での対談イベントを聴いた。

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パラリンピック車椅子フェンシング金メダリストのべべ・ヴィオ選手とフェンシング銀メダリストの太田雄貴選手、NPO法人ピープルデザイン研究所代表の須藤シンジさん司会の対談。
須藤さんが「イタリアは精神病院と施設を廃止し、知的障害、精神障害を持っている方が地域で働き生活が出来ることを実現した最初の国だ。

子供達はinclusive educationがごくごく当たり前な環境で育つ。教育段階から一緒にいる頻度が多い方が良いと思う、共同生活の経験頻度によって両者の垣根は下がる。日本では障害について込み入った質問をすることについて、素直な子供達はなんの後ろめたさもなく質問するが、大人

は誰しもがそうではない。イタリアでも直にハンデについての質問をすることに抵抗感はあるのか」と質問。イタリアの精神保健福祉について、休日の昼間に六本木で話してくれたのは本当に素晴らしかった。
べべ選手の答え「イタリアではパラリンピックの選手も通常のオリンピックの選手も同じ場所でトレーニングしています。街の中に練習場があり、各練習場に、パラリンピック選手で2人くらい必ず強い選手がいるという状況です。私も5歳のころバレーボールの練習が苦痛で逃げ出したときにフェンシングの練習場に行き着き、練習の様子に魅了されたのです。その時のコーチ、怖かったのですが「やってみるか?」と練習場に入れてくれて、そこからすべてが始まりました。

人間が、生まれてから亡くなるまでのあいだに同じ姿である必要など全くありません。一生の間に体の形や姿が変わること、それは素晴らしいことでもあると考えています。確かにイタリアでも、健常者側が障害者が抱える障害や状況について踏み込んで聞くことに対して後ろめたいような空気は存在しますが、そのまま対話を避けることで怖れや腫れ物に触る態度にしないために、こちら側からわかりやすく説明します。私は子どもが髄膜炎の予防接種を受けることの推進運動に力を入れていますが、子供の予防接種に反対する団体の方から抗議を受けることもしばしばあります。その際には、髄膜炎の説明と予防接種の有効性、接種を受けた後30分は安静にして一日は激しい運動を避けること、予防接種アレルギーには予防接種をした医療機関がすぐ対応できる状況が整っていることを根気強く説明します。」とのこと。
他にべべ選手からイタリアでの子供達のスポーツ環境についての話…ベベ選手はグラフィックデザイナーの仕事もしていること。イタリアで競技生活をしながら専門的な技能を身につけることはごく普通である事。(だって選手しながら医師を目指す例が語られて。もちろん一握りの人の話かも。日本も、高校を過ぎれば働きながら練習・試合とわらじ複数は大体同じだけど、どうにも質が全然違う…?印象)

太田選手から、これからのスポーツ選手は現役引退後のセカンドキャリアを見通した選手生活の設計が必要という話と引退選手の社会適応サポートの必要性について言及。

私の主観だと、これは美術をやめた美術学生や芸術活動を止めた芸術文化職志望者についても該当しうり、こちらの分野でも語られ、共有すべき課題でもある。スポーツだと為末大さんが引退したスポーツ選手のための就活支援をするNPOを立ち上げている例がある。非新卒の元デザイナー志望、元美術家、元美術学生、元学芸員志望者、元芸術文化の周辺職の志望者に対してそれは皆無である。なかなか集団、階層としての可視化されず、芸術文化の周辺に該当する仕事は殆どがアルバイト、日雇い、派遣、契約、有期限・雇い止めあり、学芸員資格を持っている例が募集対象でも、正社員登用が果てしなく少ないなど、安く抑えさせられている。芸術文化職の求人サイトは、そういう求人をボランティア求人と混ぜていたりする。

音楽、ダンサーの場合の事を全く知らないけども、音楽やダンスの方がシャバで話しが通じやすくイメージされやすい、鍛える内容の面で取っ掛かりもある感じがするし、個人的な自分の周りを見ても美術以外のほうが社会適応速いという漠然とした印象?もある…

 

話はトークに戻って、全員「日本の教育は一つの分野の一つのことを極めさせようとしすぎる特徴もあるが、その人の能力が生きること複数に取り組むというのは兼業、キャリア構築という意味で非常に大事」という意見一致。太田祐貴選手は日本のフェンシング人口を3万人に増やしたい、ぜひ観戦をとプロモート。
さらにはロンドン五輪リオ五輪の際のバリアフリー状況について二人の意見「東京ではハード(設備や決まり)に頼ったバリアフリーではなくソフト(人のマインドと行動)でのバリアフリー対応が必要」を引き出したのがなかなか良くて、その話によって自分の感受性、行動の道筋を色々と深められた。ベベ選手にとってこの来日は東京オリンピック前の最後のリラックスだったらしいので、今はトレーニングに戻ってるかな…

東京のアクセシビリティはいま大変に貧しい気がするけど、2020年には東京に居たら人力の力も貸してあげる必要がありそう。

「MORE ENJOY FENCING」
https://youtu.be/leOP7rWwBpw

ベベ・ヴィオ選手の情報

http://spotlight-media.jp/article/315773373417324691

 

 

Waseda GSセンターのWaseda LGBT ALLY Week2017・ALLY STORY No.49 「SOGIE、老若、状況の多様性を視野に含めた学びの場に関わるために」

Waseda GSセンターのWaseda LGBTALLY Week2017・ALLY STORY No.49 「SOGIE、老若、状況の多様性を視野に含めた学びの場に関わるために」

【アクセスのみ大歓迎】Waseda GSセンターのWaseda ALLY Weekの取り組みの一つ、ALLY STORY No.49 「SOGIE、老若、状況の多様性を視野に含めた学びの場に関わるために」Yataro Lily〜の名前で掲載してもらいました。どうぞよろしくね。

www.waseda.jp

私のエピソードでは自分のTAUでの学部時代の活動へののめり込みの話を絞り目に書き、提出後の今、実際に現在のTAUはどうなんだろう?とかなり複雑な思いで居る。美大は、個人差を差し引いても社風というか学生の性質そのものが、サークル作って群れるような人間性ではないし皆んなが皆んな利己主義で、能力主義な風潮をもろに受けてて、それが脆弱性でもある。(最低限の福利厚生として必要なことや健康上の問題について「言えない」「我慢」とか、色々。)学生会関係では、就活が強く且つ立場が強いサークル所属者が多いデザイン学科系の学生の発言力が強かったり。

私が単位も機会も捨てて心身をすり減らしながら一人で行ったChange.orgでの署名や、カマネタのミスコンの内容を変えさせたこと、半ば学内での有名クレーマーになりながら学生課に直談判を続けたことの結果は学生支援委員会の決議と記録がされたというだけで実際の大学環境には反映されてない(実行されてない)かもしれないし、ニーズがある学生が声を上げてなければ「当事者がいないので」ということで廃止されたりしてるかもしれないし…またオカマネタミスコンなんかあったらという懸念とかも入道雲のように湧いて出てくるし。分からない。しかも、今はとりあえずシャバに生きてるのに引き戻されてる。考えるのやめよ 苦笑

投稿した後、アライメッセージを寄せた他の学生さんやスタッフさんと話して居ると、皆がちゃんと自分の気持ちを綴ったことや背景の経験があって、じ〜んとしたり。というか、皆色々な孤独や試練を経験してきて居るんだな〜…と、思い耽りたくなる。

私はこういう場面で打算的で、あんまり自分の気持ちについて話すのではなく、活動や、効果的なPRトークや、周囲の社会状況の描写についてつらつら考えてしまうのがよく出てる。自分の思い自体を表現することが難しい。常に、好き嫌いでなく、関係性の中で中立であろうとする性質だから。

#SOGIE#ALLY キャンパスでは今、レインボーカラーのポートレイトとメッセージが張り出されていて、素敵な感じ。10代の子達にぜひ訪れてほしい部屋だと思って居る。

 

www.waseda.jp

Waseda GSセンターのWaseda LGBT ALLY Week2017

キャンパス内にはこんなポスターが貼ってあって、いい感じ!イベントも、何とか時間作って寄ってみたい。「早稲田精神昂揚会」って何だろうか?応援団とは違うのだろうか、昂揚…。

 

www.waseda.jp

 

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文科省のパブコメ結果をキャッチアップ。

文科省パブコメの結果をキャッチアップ。

教育指導要領改訂、「聖徳太子」維持で喜んでる人もそうで無い人もみたいな感じだ。

偏って無い人の関心と言及力が低いと、今回のような極端な内容になってしまう。

芸術教育・芸術鑑賞はナショナリズム推進のツールでは無い。

図工・音楽・芸術への要望に関しては、やたらと右傾的な意見者の道具のような扱いで「日本伝統の文化」への偏りが見られた。

 芸術教育に関しては、相変わらず鑑賞の視点が欠け続けると、結局、芸術系は「変わり者」のお祓い箱で「どんなに妙竹林な先生がいてもOK」ということが続くと思う。

多角度から歴史を見ることによって同期させるとか、転用された作風か作者名の想像がなんとなく着くとか、ものを見た瞬間から「何を信じ、どんな暮らしの元でその作品が作られたか」を常に想像する習慣がどれほど大事か。それは「目利き」というブラックボックスによって商売道具にされるようなことであってはならない。にもかかわらず、美術の先生自体にもこのことに対する理解者は少ないと思う。学校であれば全学年の授業を1人で受け持ってルーティンさばきに多忙なのだろうし、お教室であれば、あらゆる方法で、生徒集めて、教室回す一方で自分のモノ作って発表で精一杯なのだろうし。

さすがに昭和じゃないんだから芸術を選択してしまった人が「田舎から都会に出て偶然当たったから良かったね」や、「才能があって良かったね!」「美人で良かったね!」では済まされない。美術は教える以上は在る程度のコスト元を取らせるために教えるのだということを美術教育学会側が自覚していく動きがなされないと、美術大学は「電通予備校」であり続けるし、美術業界はM.T氏がTwitterで振りまくようなハイパーメリトクラシー前提の暴言がまかり通り、批評家や蒐集家、経営者による若手へのセクハラパワハラは当たり前、コンプライアンスも皆無ななか、「フェミニスト」と言って揶揄的にあしらわれる、女性性を利用しきった勝ち馬的な女性しかキャリアを作れないといった業界であり続けてしまう。

最近、知人じゃ無いけど子供と同席してご飯を食べた時に、彼女は図工が好きだったらしいけど「算数やりな!算数最高、超便利、算数やれば図工も天才になれるよ、算数がわかって図工がグンと上手になっても図工から算数の世界で上手になるのは絶対に苦しいだけだよ!」って言っちゃったし。本気で必死で。ホッコリとビールを飲みながら、「美大かな?ははは」なんて大人はいうから、必死で「世界は広いんだから絶対やめときなよ」って即答した。(世界も、世間も、本当は広くは無いんだけども、美大よりは良いから)「美大は良いよ」と言える未来は?来ないのかもしれない。「あのとき俺たちはまともだったよね(苦笑)」同窓生はそんな風に言い切る。彼と私が見ていた風景は真逆だ。「私」たちは、「まとも」だったけれども、「まとも」だったらやっていけるかどうかは、全く問題は別モノだ。

 

図工・音楽への意見は、鑑賞から現代の問題や現在報道されて居る問題に対して想像したり意識を発させる視点がかけていた点、意図的に身体的な表現力や発想力を伸ばす視点に欠けた内容だった点は、かなり気になる。社会も領土の話ばかりが多いし、理科・算数への言及はそのものが少ないし、国語は英語に時間を減らされることを防ぎたくて、しかも非論理的なままという感じ。「がん」に関する記述が在るなら、「難病」だっているかもしれない、プログラミング教育に対する要望も興味深く読んだ。

 

LGBT,SOGIへの要望は「現代的な諸課題」「保健体育」に記載。

今回、私が一番着目した性的多様性の保障と理解に関する要望を探すと、極端に意見が割れていたことが判った。明らかに、性別二元論に従わない選択肢は無い、という考え方をする者と性別二元論やめてくれよという者との意見の衝突が障壁になっていた。

個別的な配慮対象として指定するだけか、配慮すべき集団として”SOGIE”の個々人の違い認めた上で学習させるでは、まるで雲泥の差だと思う。

そして、「カウンセリング」という習慣とサービスが、学校という評価軸でのボトム側に在る「問題ある者」のための「解決装置」的なあり方でしかないのか。カウンセリングを受けさせられる・使う・ある組織内においての「配慮」として「使わされて」いくことに関して本当に考えさせられている。

 

・性的マイノリティについて規定し、保健体育科などの「異性への関心」を削除すべき。

・男女の体の成熟についての一般的な知見、異性への関心や性衝動に関する指導は必要であり、性的マイノリティへの配慮は指導内容ではなく、個別のカウンセリングなどで対応すべき。

 

回答:新学習指導要領においては、総則において、新たに児童生徒の発達を支える指導に関する項目を設け、「個々の児童生徒の多様な実態を踏まえ、一人一人が抱える課題に個別に対応した指導を行うカウンセリング」などについて規定しています。
御指摘については、文部科学省として、平成27年4月30日に「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」(通知)を発出しており、学習指導要領の規定や同通知を踏まえ、各学校においてカウンセリングなどきめ細かな対応が行われるように指導してまいります。
なお、体育科・保健体育科においては、個人差はあるものの、心身の発育・発達に伴い、「異性への関心が芽生えること」等は思春期の主な特徴の一つとして必要な指導内容です。また、体育科・保健体育科で、上記通知で言及されているいわゆる「性的マイノテリィ」について指導内容として扱うことは、個々の児童生徒の発達の段階に応じた指導、保護者や国民の理解、教員の適切な指導の確保などを考慮すると難しいと考えています。

 

個人的には別に、思春期を過ぎても、一生〜異性への関心が芽生えないどころか無いって人、薄い人は本当にたーくさん居るし、ぜーんぜん素敵・オーケー、と思うんだけど。前提として共有される幸せ像のパターンの少なさの方が、よっぽど気になるんだけど。

 

・「がん」についての記述を充実すべき。
回答: 今回の改訂では、中学校保健体育科〔保健分野〕において、健康な生活と疾病の予防に関わって、がんを取り扱うこととしており、充実を図っています。

 

HIV性感染症への啓発が進歩?
HIVを含む性感染症の教育について、記述を充実して欲しい。
回答:現行の学習指導要領に引き続き、感染症の予防の中で特にエイズ及び性感染症について取り扱うこととしており、その予防には思考力、判断力等が重要であることから、それらの資質・能力の育成と関連させて充実を図ろうと考えています。』

個人的には性別二元論に沿わなくても適応させられる分野に対しては性別二元論に沿わないで扱われるべきだと考えて居る。散々「拡散歓迎」に従ってあげてパブコメを送っても、克服されるべき「性別二元論」によって、こんなに内側が割れていたためにまとまらなかったのが明らかで、性的マイノリティ側が他の科目への関心を向ける必要も大きい次第でしょう。次こそ再び内輪割れを起こせば、もう今の世代が存命してる間に性的マイノリティについて教育が取り上げて、性別二元論的な記述を削除の実現なんてことは、本当にできなくなってしまう。

 

 

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